我が家の建替日記

三世帯、7人家族と猫一匹

名古屋精糖野球部で天皇杯と国体で優勝そして戦後初の海外遠征

約 4 分
名古屋精糖野球部で天皇杯と国体で優勝そして戦後初の海外遠征

父が名古屋精糖の野球部に所属していた時の話です。

我が家はこのブログのタイトルのとおり7人家族と猫一匹でした。しかし、昨年の夏に父が他界し6人家族にななりました。でも7人で建てた家なので、ブログのタイトルはそのままにしておきます。 その父の遺品を整理して見つけた物の話です。

子供のころからたくさんのトロフィーやメダルがあるのは知っていましたが、「天皇杯優勝」や「国民体育大会優勝記念」と書いてあるものを見つけました。
新聞の切り抜きや写真は母が保管していたものです。

1 天皇杯優勝と海外派遣

第16回 全日本軟式野球天皇杯で優勝「天皇杯、名糖に輝く」

▼見つけたときにはバットがありませんでした。仕方ないので木製バットを付けてあります。
つまようじですけど(^_-)-☆ 父さんごめんなさいm(__)m
「優勝記念、加藤春夫君、天皇杯第16回、全日本軟式野球大会、1961於京都」と彫られています。
DSC_0276.jpg

 
▼ 第16回天皇杯で優勝した時のトロフィーとカップです。
左のカップには「優勝記念、第16回天皇杯争奪、全日本軟式野球大会、1960.8於京都」と彫られています。
大会があったのは昭和36年8月(1961.8)ですが、カップには1960.8(昭和35年8月)と彫られています。昔はおおらかだったんでしょうか?いずれにしても希少価値があります。
DSC_0278.jpg 

▼その翌日の新聞です。
昭和36年8月22日の新聞です。
「天皇杯、名糖に輝く 大橋好投し富士を完封」
名古屋精糖1-0富士火災
左から三人目の優勝旗を持っているのが父です。
このような新聞のスクラップがたくさん保管されています。

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▼表彰式の写真です。父が優勝旗を受けています。
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▼天皇杯を持っている父です。
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東洋の魔女・日紡貝塚女子バレーチームとともに「日本スポーツ賞」を受賞

▼昭和37年1月28日の読売新聞のスクラップです。
日紡貝塚(大日本紡織貝塚工場)の女子バレー部と共に東京有楽町の読売会館貴賓室で「日本スポーツ賞」を受賞した時のことが書かれています。その後昭和39年東京オリンピックで日紡貝塚の選手が多数加わった女子バレーチームは「東洋の魔女」と呼ばれて有名になりました。DSC_0802

▼愛知県軟式野球連盟からいただいた記念誌です。
DSC_0280.jpg   


▼翌年昭和37年3月に軟式野球連盟から戦後初めて実業団として海外派遣されたと記録されています。
DSC_0281.jpg


▼「栄光の愛知」の章、最初のページに海外派遣のことが記録されています。
昭和37年3月21日から4月3日まで、戦後初めて台湾へ日本代表として海外遠征に行ったことが書かれています。
写真には全員おそろいのブレザーを着て飛行機のタラップに並び、胸には日の丸が付けられています。
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▼主将として参加しています。
遠征時のメンバーが綴られています。
私が子供のころにお世話になった方々の名前がたくさん載っています。
当時の沖縄にも行ったことが書かれています。(琉球政府創立10周年と書かれています。)
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2 国体優勝

昭和39年 第19回国民体育大会優勝
昭和41年 第21回国民体育大会優勝

▼新潟と大分で開催された国体で優勝しています。
「優勝記念、第19回国民体育大会、一般軟式野球、1964.6於新潟」
「優勝記念、第21回国民体育大会、一般軟式野球、1966.10於大分」と彫られています。
DSC_0272.jpg

私がまだ1歳と3歳の時の父親の偉業です。父親が野球をやってる姿を見た記憶がないのが残念だと思いました。
今更ながら偉大な父親だったんだと気づかされました。
私のかすかな記憶として、名古屋市緑区大高に名古屋精糖のアパートがあり、その近くに名古屋精糖のグランドがあったことや、白雲閣という合掌造りの建物があったことも覚えています。
その後、父は昭和41年頃愛知県刈谷市の小林記録紙に移り野球を続けましたが、名古屋精糖は昭和46年に倒産しています。

父の口癖で、「スクイズは俺が考えた。」「あの牽制は俺が考えた。」とプロ野球中継みながらよく言ってました。
あの牽制というのは、右ピッチャーでランナー 一三塁の時に、三塁に牽制球を疑投(投げるふり)をして振り返り一塁に牽制球を投げるというものです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

コメント・トラックバック

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  1. 永井 一十(いと)

    ブログ拝見させていただきました。私の父も同じチームで野球をしておりました。
    「 永井 勲 」と申します。20年前に59歳にしてなくなりました。 お写真の本にお名前がありました鈴木寛完治さんの会社に勤めていたため廣球会の名簿を作成したり、ご案内を差し上げたりと縁があり皆様のことを気にかけておりました。 残念ながら年々会員の方もお亡くなりになり寂しい限りです。 鈴木さんも残念なことに昨年お亡くなりになりました。80才でした。
    父も 鈴木さんも 最高のお父さんでした。
    思い出をよみがえらせていただき ありがとうございました。

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